46番如意輪寺について
如意輪寺は、山門がありますが、それ以外に道路と境内を区切るものがほとんどないため、
誰もがいつでも気軽に立ち寄れるような、開放的なイメージが醸し出されています。
では、知多四国46番如意輪寺について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国四十六番井際山(いざわさん)如意輪寺(にょいりんじ)真言宗豊山派の基本情報
本尊 | 如意輪観音(にょいりんかんのん) |
---|---|
開山 | 梅山和尚(ばいざんおしょう) |
開基 | 行基菩薩(ぎょうきぼさつ) |
御本尊真言 | おん はんどめい しんだまに じんばら うん |
御詠歌 | 念ずれば 心の迷い 雲晴れて 真如の月は 常に響く |
住所 | 〒470-3321 愛知県知多郡南知多町内海中之郷12 |
電話番号 | 0569-62-0109 |
ホームページ | https://r.goope.jp/nyoirin-temple/ |
公共交通機関 | 名鉄内海駅から約0.6㎞ |
札所までのアクセス | 45番泉蔵院から約0.6㎞/47番寺宝院まで約1.1㎞ |
地図 |
如意輪寺のミニ由来
- 神亀年間(724年~729年)井際山親福寺の一院として創建された。
- 知多四国霊場が始まった翌年の文政8年(1825年)如意輪寺に霊場本部が置かれた。
- 平成14年本堂、山門や塀が整えられた。
違う角度から由来を深掘りしてみた
如意輪寺が創建されたのが奈良時代の神亀年間(724年~729年)。
この時代の、貴族や役人など高貴な身分の人たちは、広大な土地に広い邸宅を建て住んでいました。
大きな門に白壁の立派な建物だったと記録が残っています。
一方庶民は、与えられる狭い土地に穴を掘り、柱を立て、板葺きや草葺きの屋根の、小さな竪穴住居が多かったといわれています。
そのような時代背景の中、如意輪寺は創建されたということですね。
それでは、実際に如意輪寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る如意輪寺
山門をくぐって境内へ向かいます。
山門をくぐるとすぐ左手に「本四国八十八箇所お砂踏み霊場」がありました。
知多四国霊場には、お砂踏み霊場が設置されている寺院が多数あります。美浜町内にある51番野間大坊もその内の一つ。野間大坊といえば、源義朝・頼朝ゆかりの寺として有名ですね。是非ご覧になってみてください。
源頼朝が、父源義朝の菩提を弔ったと伝えられるのが51番札所野間大坊。本殿は、秀吉の晩年の居城、伏見桃山城の一部を移築したもので 愛知県の重要文化財に指定されています。
お砂踏み霊場のすぐ横にはこちらの水屋がありました。
本堂には、御本尊如意輪観音、左側に南知多三十三観音十一面観世音菩薩が祀られています。また円空作といわれる「薬師如来像」を500円で拝観ですることができます。
弘法堂です
こちらは境内の一角に祀られている重軽地蔵尊
お願いごとを心に念じながらお地蔵さまを持ち上げてください。軽く感じればお願いた叶いやすく、重く感じれば叶いにくいとされています。(説明書きより)
東浦町にある7番札所極楽寺にも、願い事を心に念じながら静かに目を閉じて抱き上げたとき、軽く感じたら願い事が叶うとされる『抱き地蔵』がありますよ。
7番極楽寺は、樹齢500年を越す大きなクスノキが目印です。これまで、数多くのお遍路さんを見守ってきました。弘法堂前には、願い事を心に念じながら静かに眼を閉じ軽く持ち上げられたら、願い事が叶うという抱き地蔵が祀られています。
それでは、納経所で御朱印をいただき次の47番札所寺宝院へ向かいます。
46番如意輪寺から47番持宝院へのルート
如意輪寺を出発後、二つ目の一時停止を右折します。
右折後、直進し続けると寺宝院に到着です。
近くにある飲食店
【三晴楼】
〒470-3321 愛知県知多郡南知多町内海亥新田2-1
0569-62-0062
知多四国のおすすめ本
このブログを作りにあたって、たくさんの知多四国に関する本を参考にさせていただきました。その中でも特におすすめの書籍等を厳選し、ご紹介させていただきます。
→知多四国のおすすめ本
最後に・・・
密かに思い描いている願いを心に秘め、ゆっくりと重軽地蔵に近づきました。
が、何とこの日は施錠されており、持ち上げることができないという予想外の展開に・・・。
残念ですが次回までのお楽しみということで♪
以上【知多四国46番如意輪寺の由来・見どころ・回り方(重軽地蔵尊など)】でした。