51番野間大坊について
野間大坊の本殿は、秀吉の晩年の居城、伏見桃山城の一部を移築したもので 愛知県の重要文化財に指定されています。
御本尊の開運延命地蔵菩薩は、平安時代を代表する仏師定朝作と伝えられ、頼朝公幼少からの守り本尊とされています。
では、知多四国51番野間大坊について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国五十一番鶴林山野間大坊真言宗豊山派の基本情報
本尊 | 開運延命地蔵菩薩(かいうんえんめいじぞうぼさつ) |
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開山 | 源頼朝(みなもとのよりとも |
開基 | 白河天皇(しらかわてんのう) |
御本尊真言 | おん か か か びさんまえい そわか |
御詠歌 | 昔より いとも名高き 大坊に 白豪の光り 見るぞ嬉しき |
住所 | 〒470-3235 愛知県知多郡美浜町野間東畠50 |
電話番号 | 0569-87-0050 |
ホームページ | https://nomadaibou.jp/ |
公共交通機関 | 名鉄野間駅から約0.8㎞ |
札所までのアクセス | 50番大御堂寺と隣接/53番安養院まで約0.3㎞ |
地図 |
野間大坊のミニ由来
- 50番札所大御堂寺の一坊として創建された。
- 健久元年(1190年)源頼朝が父義朝の菩薩を弔うため、開運延命地蔵菩薩を奉安して以来、それが本尊となりました。
- 寛永年間(1624年~1644年)伏見桃山城の一部を移築したのが客殿建築の本殿で、愛知県の重要文化財に指定されている。
由来を深掘りしてみた
知多四国霊場に関する書籍に目を通していると、“定朝”という名前をよく目にするようになりました。
定朝(じょうちょう)は、仏師の祖といわれる名匠で、複数の木材を組合せて大きな仏像を造る“寄木造”という手法を完成させました。
豊かで優しい顔や身体に特徴があり、「定朝様」或いは「和様」と言われています。
野間大坊の御本尊開運延命地蔵菩薩も定朝の作で、源頼朝が平清盛の継母“池の禅尼”から授かったものとされています。
それでは、実際に野間大坊を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る野間大坊
野間大坊には広い駐車場が複数ありますので大型車であっても問題なく駐車できます。ここは西駐車場。
西駐車場脇に客殿へのルートを示す標識が立てられていて非常に分かりやすかったです。
分かりやすくて助かったのですが、大御堂時と野大坊の間にあるこの駐車場に停められたら一番良かったです^^;
標識通りに進むとお砂踏がありました。ここは51番札所から88番札所。各札所の砂が埋められているため、ここを歩けば本四国霊場を歩いたと同じご利益をいただけます。
野間大坊では、家内安全、厄除、病気平癒、安産、合格祈願・・・等の護摩祈祷が行われています。
ご予約お問合せは(0569)-87-0050まで
悠紀殿
悠紀殿(ゆうきでん)は、昭和天皇の即位の礼の際、京都御所内に建てられた建物の一部が御下賜され、昭和4年10月1日に移築されたものです。(案内版より)
野間大坊の本殿は、秀吉の晩年の居城、伏見桃山城の一部を移築したもので 愛知県の重要文化財に指定されています。
御本尊開運延命地蔵菩薩は、源頼朝の幼少からの守り本尊とされています。
こちらは宮殿中庭にある1番札所から50番札所の砂踏み
野間大坊では、たくさんのお守りがズラリと並んでいました。
お守りだけでなく、おみくじもたくさん用意されています。
納経所で住職より御朱印をいただきましたので、これから次の53番札所安養院へ向かいます。
宮殿中庭と悠紀殿前にあるお砂踏み。本四国霊場をお詣りしたと同じご利益をいただけますので、ゆっくりと一歩一歩踏みしめながら歩きたいものですね。
常滑市にある60番安楽寺のお砂踏み霊場は、四国の形をしていますよ。是非ご確認ください。
60番安楽寺の本四国お砂踏霊場は、周りに置かれた石が半島や岬をあらわしています。また、立川流の彫刻師による、本堂の迫力ある龍の彫刻が、御本尊をお守りしています。
51番野間大坊から53番安養院へのルート
野間大坊から53番安養院までは、徒歩でも全然行ける距離です。
標識が見えてきますので左折します。
駐車場は、ありますがそれほど大きくはありません。混雑しているときは、野間大坊駐車場に車を停め、歩いて向かったほうが良いかもしれません。
近くにある飲食店
大御堂寺の境内にある茶店「まどか」や
やまに旅館があります。
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最後に・・・
野間大坊は一年を通して、いつも観光客や参拝客がたくさんおられるイメージがありますが、空いている時を見計らって、いつかは「源義朝御最期の絵解」を聞いてみたいと思っています。
以上【知多四国51番野間大坊の由来・見どころ・回り方(源義朝御最期の絵解など)】でした。