37番大光院について
日間賀島の東港から徒歩5分もかからない場所に大光院はあります。
道中、気軽に島民の方が話し掛けてくださったりして、嬉しかったです。
では、知多四国37番大光院について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国三十七番魚養山大光院真言宗豊山派の基本情報
本尊 | 大日如来 |
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開山 | 弘法大師 |
開基 | 行基菩薩 |
御本尊真言 | おん あびらうんけい ばざらだど ばん |
御詠歌 | 心して 流れば 波も静かなり 島にさやけき 大光の月 |
住所 | 〒470-3504 愛知県知多郡南知多町 日間賀島小戸地59 |
電話番号 | 0569-68-2626 |
ホームページ | |
公共交通機関 | 日間賀島東港より約0.3㎞/日間賀島西港より約0.7㎞ |
札所までのアクセス | 日間賀島東港より約0.3㎞/日間賀島西港より約0.7㎞ |
地図 |
大光院のミニ由来
- 神亀2年(725年)行基によって開創された、大井の医王寺十二坊として建立された。
- 医王寺が火災で焼失したため、建暦2年(1212年、)一山七坊の一員として日間賀島に再建された。
- 昭和50年本堂新築。
- 昭和55年、岐阜県関市の大師講先達、大塚三郎の石像と顕彰碑が建立された。
- 別堂には、金毘羅大権現が祀られ、海上安全の守護神となっている。
違う角度から由来を深掘りしてみた
大光院が建立されたのが、奈良時代の神亀2年(725年)。
唐から伝わった仏教美術が発展した天平文化の時期になります。
奈良の東大寺を始め、大規模な寺院が造られましたが、そこに祀られた仏像や、壁や天井に描かれた仏画などには、
当時の天皇や貴族らの篤い信仰心が色濃く反映されていたといわれています。
唐招提寺に安置されている廬舎那仏像、東大寺三月堂の月光菩薩像、興福寺の阿修羅像・・・など、
どれも作者は不明のようですが、兎にも角にも見事な仏像が数多く祀られているということです。
それでは、実際に大光院を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る大光院
東港から大光院までは徒歩5分もかかりませんので、のんびりと歩いても大丈夫です^^
船から降りると、日間賀島の名物「タコ」のモニュメントが出迎えてくれます。
青い海と空と心地よい風が吹き、気持ちの良いお遍路日和でした。
トビが何かをくわえてながら上空を飛んでいました。
山号の魚養山には「魚を捕るだけではなく魚を養っていかなきゃいけない」という意味もあると、東海テレビ「スイッチ」の中で住職がお話されていました。
50年前、現住職が30歳で大光院の住職になった際、本堂は荒廃し雨漏りしていたそうです。すぐに、自らも工事に加わり4年かけて立て直したのがこちらの本堂。
御本尊の大日如来、弘法大師が祀られています。
金毘羅堂に祀られているのは、
海上交通の守護神金毘羅大権現。漁師や島を訪れる私たちをいつも見守っています。
知多四国霊場には、大光院と同じように、金毘羅大権現が祀られている寺院が多くありますが、32番宝乗院もその内の一つです。そして、宝乗院のご住職のおもてなしの心は半端ないです^^
32番宝乗院は、海上の安全を護る金毘羅大権現として親しまれており、旧暦十月十日の縁日には、地元の漁師たちが奉納の魚を手に集まってきます。また境内には、恵比須明神・大黒天が祀られる鞘堂、歯痛止めにご利益のある荒神が祀られています。
大師講先達の石像
岐阜県関市の大師講先達・大塚卯三郎氏は、「新四国一の景勝地」としてこの地を好んだそうで、昭和55年3月に建立、大光古墳跡に安置されました。
納経所で御朱印をいただきましたので東港へ向かいます。
こちらの東港乗船場から高速船に乗り師崎へ戻ります。
師崎港から番外浄土寺へのルート
師崎港を出発し、幡豆岬の交差点を左折します。
右手に浄土寺の看板が見えてきますので左折します。
そのまま直進すると浄土寺に到着します。
近くにある飲食店
【海の食卓 島カフェ Barca】
〒470-3504 愛知県知多郡南知多町日間賀島小戸地72
0569-68-2895
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最後に・・・
東海テレビスイッチの中を見ていたところ、大光院の現住職は生まれも育ちも日間賀島ではないという事が分かりました。一体どのような思いで、お寺に入られたのでしょう・・・。私には想像すらできない境地です。
以上【知多四国37番大光院の由来・見どころ・回り方(など)】でした。