45番泉蔵院について
小高い山の上に建つ泉蔵院は、裏手にある階段を登ると展望台があります。
展望台からは、千鳥ヶ浜を始めとする、美しい内海の温泉街を眺めることができます。
では、知多四国45番泉蔵院について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国四十五番尾風山(びふうざん)泉蔵院真言宗豊山派の基本情報
本尊 | 阿弥陀如来・薬師如来(同座) |
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開山 | 梅山和尚(ばいざんおしょう) |
開基 | 行基菩薩(ぎょうきぼさつ) |
御本尊真言 | (阿弥陀如来)おん あみりた ていせい から うん (薬師如来)おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
御詠歌 | 弥陀薬師 名は色々に 異なれど どうきふやくの 慈眼とぞ知れ |
住所 | 〒470-3321 愛知県知多郡南知多町内海南側69 知多四国45番 |
電話番号 | 0569-62-1108 |
ホームページ | |
公共交通機関 | 名鉄内海駅から約1.4㎞ |
札所までのアクセス | 44番大宝寺から約2㎞/46番如意輪寺まで約0.6㎞ |
地図 |
泉蔵院のミニ由来
- 弘法大師巡錫(※)の霊跡である井際山観福寺の一坊「泉蔵院」として創建。
- 延宝4年(1676年)本堂再建。本尊は行基菩薩の作と伝えられる秘仏の阿弥陀如来、薬師如来。
- 文化7年(1810年)金毘羅堂再建。
- 祈願成就の「だるま弘法」の通称で親しまれている。
- 愛知県下で2番目、日本全国で9番目に古い算額がある。
※巡錫(じゅんしゃく)とは、僧が各地をめぐり歩いて教えを広めることをいいます。
由来を別の角度から深掘りしてみた
泉蔵院の金毘羅堂が再建されたのが文化7年(1810年)のこと。
この時代は、幕府から言論の自由が奪われ、自由に発言や出版することができませんでした。
しかし、その一方で町人を中心に、各分野で色々な文化が作り出されました。
文学界では、滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」の中で、当時の腐敗しきった政治を批判したとされてています。
歌舞伎の分野では、「東海道四谷怪談」の中で、当時の世の中の様子を表したといわれています。
また町の至る場所で、寄席や落語、手品などを気軽に楽しんでいたという記録も残っており、民衆が文化の発展に大きく携わっていたといえるでしょう。
このような時代背景の中、泉蔵院の金毘羅堂は再建されたんですね。
それでは、実際に泉蔵院を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る泉蔵院
駐車場への出入りの際、カーブになっていて見づらいのでご注意ください。
目の前にバス停があるので便利です。
「弘法大師札所泉蔵院」と彫られた石柱
こちらの長い階段を上っていきます。
階段を上って右に進むと
金毘羅堂が左手にあり、
真正面にこちらの本堂があります。
本堂では、行基作と伝わる「御本尊阿弥陀如来」と秘仏の「薬師如来」が祀られています。
右手に弘法堂
泉蔵院の弘法さまは「だるま弘法」と呼ばれています。
参拝者は、御祈祷を済ませ、授かっただるまを持ち帰り、そして願いが叶ったら目を入れて奉納します。
両目の入っただるまが、境内のあちこちに奉納されているのを目にすることができます。
納経所で御朱印をいただき次の46番札所如意輪寺へ妻と一緒に向かいます^^
境内の上から見るとこんな感じの駐車場です。分かりにくいので、初めて参拝に来るときは通り過ぎてしまうかもしれません。
44番大宝寺から46番如意輪寺へのルート
如意輪寺までは、それほど離れておらず、比較的分かりやすい道となっています。徒歩、車共に共通のルートです。
泉蔵院を出発後、内海方面に進みこちらを右折します。
こちらの橋を左折します。
橋を左折する前にこちらの赤色ののぼりが見えてきますので、分かりやすいと思います。
近くにある飲食店
【深海】
愛知県知多郡南知多町内海一色107-1
0569-62-3113
【アルザス】
愛知県知多郡南知多町内海北向9-4
0569-62-0048
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最後に・・・
願いが成就した証でもある両目の入った、たくさんのだるまさん。明るい赤色のコロコロした容姿のだるまさんが、私たち参拝客の気持ちを明るくさせてくれています♪
以上【知多四国45番泉蔵院の由来・見どころ・回り方(だるま弘法など)】でした。