開山所葦航寺について
順打ち通りに進むと、美浜町最初の札所が、開山所葦航寺になります。
武豊にある25番札所円観寺まは少々分かす分かりづらく、中道や抜け道を通っていこうとすると迷ってしまう可能性が高いです。
数百メートル長くなるかもしれませんが、国道247号線を通って行かれることを強くおすすめします。
では、知多四国開山所葦航寺について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国開山所達磨山(だるまさん)葦航寺(いこうじ)曹洞宗の基本情報
本尊 | 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) |
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開山 | 大眞養隣大和尚 |
開基 | 和叟玄光和尚 |
御本尊真言 | のうまく さまんだ ぼだなん ばく |
御詠歌 | 一筋に 八十八と 顔立てて 布土の縁で なるぞはたせり |
住所 | 〒470-2401 愛知県知多郡美浜町布土平井131 |
電話番号 | 0569-82-0731 |
ホームページ | |
公共交通機関 | 名鉄河和口駅から約1.2㎞ |
札所までのアクセス | 25番圓観寺から約3.2㎞/番外影現寺まで約2.3㎞ |
地図 |
葦航寺のミニ由来
- 元亀元年(1570年)開創。
- 知多四国の三開山の一人、武田安兵衛行者が祀られている。
- 武田安兵衛行者ゆかりの品(本四国法納経、鉦鼓(※)、丁木、短刀、道中記、肖像画など)が保存されている(非公開)。
- 平成20年本堂再建。
由来を深掘りしてみた
武田安兵衛(1788年~1826年)は、香川県出身。
亮山阿闍梨の、知多四国霊場開創の構想に感銘を受け、亮山と岡戸半蔵とで知多四国開創に尽力を注ぐことを決意。
四国に戻った安兵衛は、本四国の各札所に10日ずつ籠り、各寺院の砂を譲り受け、2年後その砂を持って知多に入り、大井の宝乗院で亮山と再開したといいます。
霊場開発は大変困難でいばらの道だったことは想像に難くないですが、発願から16年目の文政7年(1824年)ついに知多四国霊場が結ばれました。
そして、その2年後38歳という若さで布土の十王堂で亡くなられ、その後ここ葦航寺に葬られました。。
それでは、実際に葦航寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る開山所葦航寺
駐車場はそれほど大きくありませんが、普通車であっても全然大丈夫です。
これから石段を上って境内へと向かいます。結構急な階段です。
階段を上がって左手にある水屋
その前には、昭和62年9月15日に建立された「一心大師石像」が祀られていました。
こちらが、境内中央辺りに祀られている福寿法亀龍王菩薩。近くの浜で上がった海亀で、通称「おかめさん」と呼ばれています。
葦航寺のおかめさん以外にも、知多四国霊場には亀にまつわる寺院が数多くあります。例えば南知多町内にある番外浄土寺では、龍騎大神といわれる大きな亀を境内で見ることができます。想像以上にデカいですよ!
番外札所浄土寺は、お亀さんの愛称で親しまれる寺です。亀に乗った龍亀大菩薩は、延命長寿に霊験あらたかと篤い信仰を集めています。子どもを連れた御手引大師は、子どもの健やかな成長を見守ります。お遍路さんのなかには、番札所の鶴と合わせ、長寿のお守りとする方もおられます。
こちらが、平成20年(知多四国開創200年)に再建された本堂です。
本堂左隣に建つ弘法堂。
弘法堂の前で祀られているのが、知多四国三開山の一人「武田安兵衛行者」の石像。
葦航寺は、武田安兵衛行者を祀るお寺です。
武田安兵衛は四国の生れですが、亮山阿闍梨、岡戸半蔵と共に、知多四国開創に尽力された三開山の一人で、その武田安兵衛の石像が弘法堂の前に祀られています。
当然のことながら、お姿を拝見したことはないのですが、このようなお顔だったんだと妙に感心。。。
南知多町にある30番医王寺の本堂裏に、武田安兵衛行者のお墓があります。是非ご確認ください。
30番医王寺の開創は725年。弘法大師の開山とされています。かつては12坊を構え、岩屋寺と並ぶ南知多きっての古刹でした。現在の地に移ったのは1212年。大寺院の中心として栄えましたが、兵火等により、次第に往時の面影はなくなっていきました。
それでは、御朱印をいただきましたので次は時志観音へ向かいます。
開山所葦航寺から番外影現寺時志観音へのルート
R247を内海方面に進むと、右側に時志観音が見えてきます。
近くにある飲食店
【楽餐館 美浜店】
愛知県知多郡美浜町布土梅之木64-1
0569-82-6166
【ちどり】
愛知県知多郡美浜町布土中平井177-1
0569-82-0243
知多四国のおすすめ本
このブログを作りにあたって、たくさんの知多四国に関する本を参考にさせていただきました。その中でも特におすすめの書籍等を厳選し、ご紹介させていただきます。
→知多四国のおすすめ本
最後に・・・
知多四国霊場開創の功労者である武田安兵衛行者の石像が、ここ葦航寺の弘法堂前に祀られています。
安兵衛行者は、本四国で貰い受けた砂を、知多四国の全札所に、16年もの歳月をかけ奉納し終えたとされます(本四国霊場各所の砂は札所そのものと同じとされ、新たに霊場を開創する時には各札所に本四国札所の砂が安置されることになっています)。
そしてその翌年、38歳の若さで亡くなられ、葦航寺に葬られました。その後現在に至るまで、毎日お遍路さんをここで迎え入れてくださっています。。。
以上【知多四国開山所葦航寺の由来・見どころ・回り方(武田安兵衛行者の石像など)】でした。