57番報恩寺について
57番札所報恩寺は、すぐ近くに日本福祉大学がありますので、登下校中の学生さんが行き交う姿が見られます。
そんな賑やかさも一転。
報恩寺の石段を上ると、その先には静かな境内が広がります。
では、知多四国57番報恩寺について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国五十七番乳竇山(にゅうとうざん)報恩寺曹洞宗の基本情報
本尊 | 西方如来(さいほうにょらい) |
---|---|
開山 | 雲関珠祟(うんかんしゅそう)大和尚 |
開基 | 報恩寺殿乳竇貞哺大禅定尼(ほうおんじでんしゅうとうていほだいぜんじょうに) |
御本尊真言 | おん あみりた ていせい から うん |
御詠歌 | 現当の 二世の安楽 弥陀如来 こころ奥田の 報恩の寺 |
住所 | 〒470-3233 愛知県知多郡美浜町奥田会下前39 |
電話番号 | 0569-87-0438 |
ホームページ | |
公共交通機関 | 名鉄知多奥田駅から約0.7㎞ |
札所までのアクセス | 55番法山寺から約1.7㎞/番外曹源寺まで約7.5㎞ |
地図 |
報恩寺のミニ由来
- 源義朝の家臣鎌田兵衛正清の菩薩を弔うために創建。
- 永正年間(1504年~1521年)天台宗から曹洞宗に改め再興。
- 昭和の終わりから平成にかけて、本堂他、諸堂が再建さた。
由来を深掘りしてみた
源義朝の家臣鎌田兵衛正清は、平治の乱で源氏の功労第一とされたのにもかかわらず、舅の長田忠致とその子影致の二人に騙されて討たれてしまった、悲運の戦国武将として知られています。
ただ、武将だけではなく、戦国の世は子どもや女性にとっても大変つらい時代だったようです。
戦国大名は、領国の安全を保ため、他国と同盟を結ぶことがよくありました。そして、同盟国の証として互いの男子を人質として交換したというのです。
また、娘や姉妹を相手方の嫁として送られる「政略結婚」も珍しくなかったといいます。
もし、同盟を破った場合は、子供や嫁がどうなっても知らないぞ、というわけです。
それでは、実際に報恩寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る報恩寺
駐車場はすごく広いです。
石柱門を通って新緑に包まれた参道を進むと
左側に水屋
真正面に、西方如来が祀られる本堂があります。
弘法堂には
中央に弘法大師
向かって右側に持経大観音
向かって左側に一夜彫観世音が祀られています。
一夜彫大観音とは、かつて弘法大師がこの地に立ち寄った際、湧水の場所を示し、その後一夜で彫ったといわれる石観音像です。
納経所で御朱印をいただきましたので、次の札所曹源寺を目指します。
このようなかわいらしい「特別御朱印」も販売されていました。
57番報恩寺から番へのルート
南知多ビーチランドのある交差点「中奥田」を右折します。
「南小鈴谷」の交差点を左折します。
曹源寺は右側にありますが、出入口が狭く見通しも悪いのでご注意ください。
近くにある飲食店
【食楽 咲】
〒470-3233 愛知県知多郡美浜町奥田森越81-1
0569-87-0707
【灯台うどん 知多半島本店】
〒470-3233 愛知県知多郡美浜町奥田石亀164-1
0569-87-1011
知多四国のおすすめ本
このブログを作りにあたって、たくさんの知多四国に関する本を参考にさせていただきました。その中でも特におすすめの書籍等を厳選し、ご紹介させていただきます。
→知多四国のおすすめ本
最後に・・・
美しく整備された報恩寺の庭園は、そこにいるだけで身も心も休まります。新緑の木々たちに囲まれながら、心地よい時間を過ごすことができました。
以上【知多四国57番報恩寺の由来・見どころ・回り方(庭園など)】でした。