開山所妙楽寺について
79番札所妙楽寺の境内には、知多四国霊場開創に尽力した、亮山阿闍梨を祀る開山所があります。
弘法大師の「知多に霊場を開け」との夢のお告げが始まりです。
亮山阿闍梨は、宗派を越えて協力を呼びかけ、実に16年もの歳月をかけ、88の札所を定めました。
昔も今も多くのお遍路さんを惹き付けて止まない知多四国霊場は、今後も変わることなく私たちを見守り続けてくれることでしょう。
では、知多四国開山所妙楽寺について、具体的な情報を見ていきます。
知多四国開山所白泉山(はくせんざん)妙楽寺真言宗豊山派の基本情報
本尊 | 大日如来(だいにちにょらい) |
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開山 | 賢秀(けんしゅう)上人 |
開基 | 不詳 |
御本尊真言 | おん あびらうんけい ばざらだど ばん |
御詠歌 | 知多四国 開き給ひし 亮山の 徳はかほりて 法の花さく |
住所 | 〒478-0017 愛知県知多市新知下森29 |
電話番号 | 0562-55-3510 |
ホームページ | |
公共交通機関 | 名鉄古見駅から約0.2㎞ |
札所までのアクセス | 79番妙楽寺からすぐ/80番栖光院まで約1.8㎞ |
地図 |
妙楽寺のミニ由来
- 亮山阿闍梨を祀る開山堂。
- 安永元年(1772年)犬山の生まれ。
- 名古屋東照宮の守護寺である天王坊二十六世亮厳法印に師事し、文化3年(1806年)妙楽寺の住職となった。
- 文化6年(1809年)3月18日、知多四国霊場開創を発願。
- 文政7年(1824年)3月大願を成就。
- 弘化4年(1847年)3月18日入寂。
- 境内には修行大師像と一緒に亮山阿闍梨坐像が安置され、本堂裏には墓もある。
少し違う角度から由来を深掘りしてみた
3月18日は、亮山阿闍梨が知多四国霊場の開創を発願した日でもあり、入寂した日でもあるわけですね。
色々と調べて見たところ、奇しくも3月18日は柿本人麻呂の忌日のようです。また、生没年は不詳とされながらも、小野小町の忌日ともされていて3月18日は「小町忌」ともなっています。
そして、亮山阿闍梨が亡くなってから60年後に始まったのが明治時代。
その明治時代の貴重な建造物等が展示されている明治村が、愛知県犬山市に開村したのが、亮山阿闍梨が亡くなってから155年後の3月18日です。。。
それでは、実際に開山所妙楽寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る妙楽寺
車は門の前にある駐車スペースにこのように停められます。
境内の中央に、亮山阿闍梨像が鎮座しています。
境内の中央に、知多四国霊場開創に尽力した亮山阿闍梨像と修行大師像が安置されています。初めて境内に足を踏み入れた人は、誰もが目を奪われることでしょう。因みに、知多四国霊場開創に尽力し三開山といわれるのが、亮山阿闍梨と武田安兵衛、岡戸半蔵の三人。武田安兵衛は開山所葦航寺、岡戸半蔵行者は開山所禅林堂でそれぞれ祀られています。
79番札所妙楽寺の弘法堂と、開山堂が並んで建っています。開山堂は向かって右側になります。
こちらが開山堂です。
中央に亮山阿闍梨、向かって左側に弘法大師が祀られています。
無事参拝を終えました。これから納経所で79番妙楽寺の御朱印と合わせていただき、次は80番札所栖光院へ向かいます。
開山所妙楽寺から80番栖光院へのルート
妙楽寺から栖光院までは、旧街道を走りますので道幅が狭いです。制限速度を守って飛び出し等には十分ご注意ください。
妙楽寺の駐車場を出て左折します。
「浜脇」の交差点を左折です。
「知多不動産」看板の手前の道を右折します。
中村塾の前の道を左折します。
止まれを左折します。
ここを左折すると栖光院は間もなくです。
近くにある飲食店
【おお田】
愛知県知多市新知西町5-1
0562-55-9575
【吉香楼 朝倉店】
愛知県知多市朝倉町187
0562-33-8002
【楽餐館】
愛知県知多市新知 浜脇1
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最後に・・・
知多四国霊場を巡拝し、知多四国霊場について学べば学ぶほど、開創に尽力した亮山阿闍梨、武田安兵衛行者、岡戸半蔵行者の成し遂げたことが、どれだけ大変なことだったのかということが分かってきます。
妙楽寺の境内に入り、亮山阿闍梨像を目にした瞬間、ごくごく自然に頭が下がりました。
以上【知多四国開山所妙楽寺の由来・見どころ・回り方(亮山阿闍梨像など)】でした。