50番大御堂寺について

大御堂寺 石碑

50番札所大御堂寺は、知多半島屈指の古刹で、数多くの寺宝が大切に保存されています。
鎌倉五代将軍源頼嗣公寄進の梵鐘は国指定重要文化財、御本尊の阿弥陀三尊は愛知県の重要文化財に指定されています。
では、知多四国50番大御堂寺について、具体的な情報を見ていきましょう。

知多四国五十番鶴林山(かくりんざん)大御堂寺真言宗豊山派の基本情報

本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい)
開山 行基菩薩(ぎょうきぼさつ)
開基 役の行者(えんのぎょうじゃ)
御本尊真言 おん あみりた ていせい からうん
御詠歌 大御堂 弥陀の光りを 眺むれば 後生を願う 心起こん
住所 〒470-3235 愛知県知多郡美浜町野間東畠ケ50
電話番号 0569-87-0050
ホームページ https://nomadaibou.jp/
公共交通機関 名鉄野間駅から約0.8㎞
札所までのアクセス 49番吉祥寺から約1.5㎞/51番野間大坊とは隣接
地図

大御堂寺のミニ由来

  1. 天武天皇(673年~686年)の時代に開創された。
  2. 聖武天皇(723年~749年)の頃、行基によって再興された。
  3. 承暦年間(1077年~1081年)白河天皇の勅願所として大御堂寺と命名され、一山七堂伽藍、十四坊が整えられた。
  4. 建久元年(1190年)源頼朝が亡父義朝の菩提を弔うため、開運延命地蔵尊と不動明王、毘沙門天を奉納した。
  5. 本堂右には、義朝の廟所がある。
  6. 平治元年(1159年)長田忠致、影致父子に討たれた、義朝の首を洗った「血の池」は、国家に一大事があれば水が赤くなるという。
  7. 宝暦4年(1754年)本堂再建。
  8. 十王堂は、織田信長と豊臣秀吉を弔うため、秀吉のまた従弟である加藤清正が建てた。

由来を深掘りしてみた

大御堂寺の十王堂は、豊臣秀吉の“また従弟”にあたる加藤清正が、織田信長と秀吉の菩薩を弔うため建立したとのことですが、
加藤清正とはどのような武将だったのでしょうか。
加藤清正は、幼少の頃から秀吉に仕え、1583年の賤ケ岳の戦いを始め、数々の戦で手柄をあげました。
また、当代きっての築城の名手だったようで、熊本城、江戸城、名古屋城の築城に携わったそうです。
それでは、実際に大御堂寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。

写真で見る大御堂寺

大御堂寺は野間大坊と共有の駐車場になりますが、複数ありますのでどんな車でであっても問題なく駐車できます。
大御堂寺 駐車場

こちらの大門は、建久元年(1190年)、源頼朝が亡き父義朝の法要に伴い、境内の様々な伽藍を建立した折に創建されたそうです。
大御堂寺 大門

1754年に再建された本堂
大御堂寺 本堂

現在の建物は3度の火災などにより、宝暦4年(1754年)に鎌倉様式にのっとり再建されたものです。
本尊は平安時代作の『阿弥陀三尊像』(左から勢至 菩薩・阿弥陀如来・観音菩薩)。
向かって右側に真言宗の開祖弘法大師、左側に新義真言宗の開祖興教大師祀られています。
(大御堂寺本堂前の案内版より)

ここは源頼朝の父「義朝(よしとも)」が非業の死を遂げた歴史の舞台。平清盛との闘いに破れ、落ち延びる途中の入浴中に暗殺されてしまいます。
大御堂寺 義朝

そして、源義朝の首を洗ったとされる血の池は、国家に一大事があると水が赤く染まると言い伝えられています。
源義朝 血の池

本堂東側にあるのが、こちらの源義朝の廟所。
大御堂寺 源義朝の廟所

連日たくさんの木太刀が奉納されています。
大御堂寺 木太刀

大御堂寺の見どころ(源義朝の廟所)

本堂東側にある義朝の廟所。55番宝山寺に隣接する湯殿で襲われた義朝が「我に木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだという伝承に基づき、現在も木太刀が奉納され続けています。

55番宝山寺には、源義朝最期の舞台となった湯殿跡の横に像が建てられています。必見です!

源義朝以外にも、水野守信、鎌田政家、織田信孝らの墓所がありますが、参拝後野間大坊の客殿で「野間大坊所禄の武士印」を1枚300円で購入することができます。
大御堂寺 御朱印

こちらは源頼朝が父義朝の供養のため1190年に建立したとされる大御堂寺五重塔跡。
大御堂寺 五重塔跡

鐘楼堂。鎌倉5代将軍源頼嗣公寄進の梵鐘は国の重要文化財に指定されています。
大御堂寺 重要文化財

50番大御堂寺から番51番野間大坊へのルート

大御堂寺と野間大坊は隣接しています。

近くにある飲食店

境内にある茶店「まどか」 手打ちそばやぜんざいセットがお値打ち価格で、とても美味しそうでした。
大御堂寺 まどか

あなたに最適な知多四国の回り方はどれ?

最後に・・・


みなもとの 義朝公の 最期の地 歴史の重み 大御堂寺

小中高の歴史授業で習った源頼朝、義朝の繋がりが深い場所が、ここ知多半島内にあるとは全く想像すらしていませんでした。
今日は、気温30℃を超える夏日でしたが、義朝公のお墓や御首を洗ったとされる血の池周辺は、心なしかひんやりとしており独特な雰囲気でした。

以上【知多四国50番大御堂寺の由来・見どころ・回り方(源義朝の廟所など)】でした。

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