21番常楽寺について
20番龍台院から21番常楽寺までは約2㎞。半田市を通るメイン道路ともいうべき247号線を武豊方面に進みます。
半田市の中心街になりますので、成岩駅から青山駅にかけ、数多くの飲食店が建ち並んでいます。
常楽寺を参拝する前後に、この辺りで昼食を摂るのも良いかもしれません。
では、知多四国21番常楽寺について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国二十一番天龍山常楽寺西山浄土宗の基本情報
本尊 | 阿弥陀如来 |
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開山 | 空観栄覚上人 |
開基 | 空観栄覚上人 |
御本尊真言 | おん あみりた ていせい から うん |
御詠歌 | 常楽の 彼岸にやがて 到らまし 御名となふるは 報恩のため |
住所 | 〒475-0924 愛知県半田市東郷町2丁目41 |
電話番号 | 0569-21-0268 |
ホームページ(face book) | https://www.facebook.com/jourakuji/ |
公共交通機関 | 名鉄成岩駅から約0.4㎞/名鉄青山駅から約0.5㎞ |
札所までのアクセス | 20番龍台院から約2.1.㎞/22番大日寺まで約3.7㎞ |
地図 |
常楽寺のミニ由来
- 文明16年(1484年)応仁の乱による戦没者を供養するために発願、開創された。
- 境内に塔頭(たっちゅう)が4つあり、知多四国霊場屈指の規模を誇っている。
- 本尊阿弥陀如来立像は国指定文化財。
- 徳川家康が、桶狭間の戦い(1560年)、本能寺の変(1582年)、上洛の途次(1589年)の3回常楽寺を訪れている。
- 大正13年本堂が火災により焼失、昭和15年に再建。
- 平成7年遺浄院(塔頭)、平成10年真如院(塔頭)、平成19年本堂、観音堂が改修された。
由来を深掘りしてみた
常楽寺の発願、開創のきっかけとなった「応仁の乱」は、応仁元年(1467年)から文明9年(1477年)まで続いた、室町幕府内の政治抗争の内乱です。
ご存じの通り、細川氏が率いる東軍と、山名氏が率いる西軍による、政権奪取のための血で血を洗う惨劇だったわけですが、
ところで、京都に『応仁の乱勃発の地』と呼ばれる神社があるのをご存じでしょうか?
その名も「上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)」
この神社に陣を敷いた細川方の畠山政長を、山名方の畠山義就ら大軍が攻撃を仕掛けたのですが、この争いが応仁の乱の前哨戦となったことから、
上御霊神社は「応仁の乱勃発の地」と呼ばれるようになったそうです。
上御霊神社境内には、【応仁の乱勃発の地】や【応仁の乱発端 御霊合戦舊跡】と彫られた石碑が建てられており、今なお犠牲になった人たちが弔い続けられています。
11年という長きに渡る争いでしたので、相当数の戦死者がおられたということは想像に難くありません。
そして、遠く離れた半田の地で、その戦没者供養のために常楽寺が発願開創されたということから、いかに無意味で悲惨な争いだったのかということが分かろうというものです。
それでは、実際に常楽寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る常楽寺
駐車場は凄く大きいので、どれだけ大きな車であっても楽に駐車できます。
降車後、境内に向かおうとしたところ、大きな「参詣順路」の看板が設置されていましたので、非常に分かりやすく迷うこともありません。
順路通り進んでいくと、立派な納経所がまず目に飛び込んできました。
水屋も近代的な造りでした。
水屋の横、納経所の真正面に建つのがこちらの弘法堂。真正面といっても広大な敷地ですので、納経所と弘法堂はかなり離れています。
弘法堂には、地蔵菩薩、毘沙門天王、聖観世音菩薩、弘法大師が祀られています。
弘法堂に貼ってありました。知多四国霊場巡りをしていて思うことは、本堂に上がって良いのかどうか判断に迷うことがあるため、こうした案内は凄くありがたいです。
そして本堂は歴史の深さを感じさせる本当に大きくて立派でした。
これから本堂の中へと上がっていきます。
と思いましたが、こんな貼り紙を発見。「2021年 インスタグラム始めました jorakuji_handa #常楽寺 半田市 行事やイベント、日々の事柄などを投稿しています」
こちらが国指定重要文化財「木像阿弥陀如来立像」です。国指定重要文化財にお目にかかることって難しいと思っていましたので、自分の目で拝見することができ感動しましたし、有難くお詣りさせていただきました。
『常楽寺の本尊で、高さ70cmの寄木造り、漆箔、玉眼がはめこまれ、衣の上に截金文様(1)が施されている。手は来迎印を結び、左足をやや前に出して、生きているもの全てを救うために一歩を踏み出そうとする姿を表している。頭部の肉髻(2)は、やや低平で宋朝様式の影響を受けていたことを示す。頭部内の墨書きから弘長3年(1263年)法橋円覚の作であることが判明しており、鎌倉時代の仏像の典型例とされる。』
(常楽寺境内の案内板より)
- 截金(きりがね)文様とは、金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ、細く直線状に切ったものを、筆と接着剤で貼ることによって文様を表現する伝統技法です。
- 肉髻(にくけい)とは、頭頂部に一段高く碗形に隆起している部分を指します。
知多四国霊場には常楽寺の他にも、国の文化財に指定されているものが数多くあります。例えば東海市にある82番札所観福寺の宮殿は、鎌倉時代の建築様式を今に伝える貴重な建造物で、国の重要文化財に指定されています。
82番観福寺は、知多四国を開創した亮山阿闍梨が、「行く先珍しいことがきっと起こってくるでしょう」と告げ、開創記念に赤白二本のツバキを植えました。以来、緑葉茂る椿に桧の枝が芽吹いてきたと伝えられています。
納経所ではご住職が気さくに話しかけてくださいました。
そして、木像阿弥陀如来立像について色々お聞きしたところ、質問をしてくれた人にだけ渡していると、袋に入れたカードを頂戴しました。
実際に頂いたカードがこちら。金色に光り輝くプレミアムカード(多分・・・)でした。ありがとうございました♪
参拝を終え、御朱印もいただきましたので、続いて武豊町にあります22番札所大日寺へ向かいます。
21番常楽寺から22番大日寺へのルート
R247を武豊方面に進み、「武豊平井畑」の交差点を左折、線路を渡ると左手に大日寺がみえてきます。
行き方としては分かりやすいルートですが、交通量がかなり多く距離もありますので、時間に余裕を持って出発するようにしましょう。
近くにある飲食店
【横濱家系ラーメン かまし家 半田本店】
愛知県半田市東郷町2-50-1
0569-22-1120
【デニーズ半田店】
愛知県半田市東郷町4-103-15
0569-26-3820
【マクドナルド 半田店】
愛知県半田市東郷町4丁目103-10
0569-47-6376
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もしまだということでしたら、大手通販サイトの「楽天」か「アマゾン」か「ヤフー」で探してみてください♪
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最後に・・・
知多四国随一の敷地面積を誇る境内に、大きく立派な庫裡が4つも建ち並んでいます。
これだけの規模ともなると、通常は参拝者との距離もできがちですが、弘法堂の「本堂も上がってお参り下さい」本堂階の「どうぞ上がってお参り下さい」という貼り紙が山主さんと参拝者との距離をグッと縮めています。
また、長いお寺の歴史や文化を継承しつつも、それだけに留まらず「インスタグラム」や「フェイスブック」といった、現代社会に合わせた手法でお寺の魅力を人々に伝えておられます。
どれも何気ない事かもしれませんが、なかなかできそうでできない事です。
このような数々のご住職さんのおもてなしの心が、人々を惹きつけていることは間違いないでしょうし、徳川家康が3度も常楽寺を訪れた理由も分かる気がします。
阿久比町にある15番札所洞雲院には、徳川家康の母「於大の方」のお墓があります。是非ご確認ください。
15番洞雲院弘法堂の裏に徳川家康の生母於大の方(伝通院)のお墓がありますが、そこには遺髪が納められています。また830年、日照り続きだったこの地に、慈覚大師が訪れてお経を唱えたところ、水がこんこんと沸き出し村人を救ったという唐松の井戸が残されています。
以上【知多四国21番常楽寺の由来・見どころ・回り方(おもてなしの心など)】でした。