15番洞雲院について
15番札所洞雲院の創建は、平安時代にまで遡ります。徳川家康の生母「於大の方」が嫁いだ久松家の御大師。木々に囲まれた境内の裏には、於大の方(伝通院)のお墓があります。
では、知多四国15番洞雲院について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国第十五番龍渓山洞雲院曹洞宗の基本情報
本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
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開山 | 在室奉存大和尚 |
開基 | 久松定益 |
御本尊真言 | おん はんどめい しんだまに じんばら うん |
御詠歌 | 春の日は 梅が谷間に 輝きて 久松寺に 晴るる淡雲 |
住所 | 〒470-2212 愛知県知多郡阿久比町卯坂英比67 |
電話番号 | 0569-48-0544 |
ホームページ | |
公共交通機関 | 名鉄坂部駅から約0.5㎞ |
札所までのアクセス | 14番興昌寺から1.4約㎞/17番観音寺まで約2.7㎞ |
地図 |
洞雲院のミニ由来
- 天歴2年(948年)創建。
- 明応2年(1493年)再建。
- 平成23年新たな本堂完成
- 洞雲院のすぐ南にある城山公園は、かつての坂部城址。
- 坂部城を築いたのは久松定義。
- 久松定義の子「俊勝」に徳川家康の母「於大の方(伝通院)」が再婚で嫁いだ。
- 洞雲寺境内裏には、俊勝と於大の方らを祀る墓所がある。
由来を深掘りしてみた
洞雲院の創建は、平安時代初期、天歴2年(948年)です。
それまでは、唐の文化が受け入れられていましたが、この時代は日本独自の文化、国風文化が作りだされていくようになった時期です。
国風文化は、唐の文化を吸収した上で、日本人のライフスタイルやフィーリングに合ったものに変化させていった結果生まれたものといえるでしょう。
例えば、漢字から日本特有のかな文字を創造し、更にそこから源氏物語など、後世にまで伝わる優れた文学を生み出したことはその典型例です。
他にも、絵画や工芸などの分野においても、大和絵や蒔絵など日本独自の特色ある作品が生まれていますよね。
それでは、実際に洞雲院を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る洞雲院
駐車場は十分な広さがありますので、大きな車でも余裕で駐車できます。
これから階段を上り、立派な山門をくぐります。
山門をくぐるまで分かりませんでしたが、洞雲寺は現在改装工事真っ只中でした(令和3年4月現在)。
こんな感じで、工事現場の職人さんたちが忙しそうに境内を動いておられました。
完成するのが楽しみですね。
御朱印は「手の離せない仕事をしているため自身で」とのことでしたので、納経料として100円を納め自分で御朱印帳に押させていただきました。
洞雲寺の境内裏には、徳川家康の生母「於大の方」のお墓(左から2番目)があります。
こちらが於大の方(伝通院)のお墓。ここには遺髪が納められています。
洞雲院大師堂裏手の山中に、松平家の墓地があり、於大の方もその中に静かに眠っておられます。また毎年3月には、於大の方が女性の幸福招来を願って始まった観音懺法会(かんのんせんぽうえ)、通称「おせんぼ」が行われています。
参拝を終え御朱印をいただきましたので、次は観音寺へ向かいます。
15番洞雲院から次の札所までのルート
知多四国霊場会推奨ルートでは、15番洞雲院の次の札所は16番平泉寺となっています。このブログでは、15番洞雲院→17番観音寺→16番平泉寺と回ったほうが効率がよく、時間短縮にもなると判断しましたので、15→17→16で回ることにしました。
R55を半田方面へ向かい、右手にセブンイレブンのあるこちらの交差点を右折します。
しばらくすると観音寺の案内がでてきますのでそれにしたがって進みます。
間もなく、観音寺駐車場に到着します。
近くにある飲食店
【パスタ・ラ・クリマ】
愛知県知多郡阿久比町卯坂坂部30
0569-47-0801
【カフェヨシノ 阿久比店】
愛知県知多郡阿久比町卯坂坂部10
0569-47-7226
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最後に・・・
洞雲院を訪れたこの日は、穏やかで温かな春の陽気で、私たちの他にも、数名のお遍路さん(弘法さん)を洞雲院で見かけました。
戦国の世に翻弄され続けた於大の方も、きっとこのような時代になったことを喜んでおられるのではないでしょうか。。。
以上【知多四国15番洞雲院の由来・見どころ・回り方(於大の方の墓など)】でした。