番外奥の院海蔵寺について
番外札所海蔵寺の境内には、見事に枝を伸ばした黒松と坪庭が、訪れた人の目を引きます。
海蔵寺に伝わる寺宝「蓮糸(はすいと)の法衣(ほうえ)」は、かつて弘法大師が着用していたものとされています。
神通力を持ったこの寺の第二世田翁和尚が、高野山の大火を予知して未然に防いだことで、高野山主から敬意と御礼を込めて贈られたものです。
では、番外奥の院海蔵寺について、具体的な情報を見ていきましょう。
知多四国番外奥の院清涼山海蔵寺曹洞宗の基本情報
本尊 | 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) |
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開山 | 月州用敦(げっしゅうようとん)大和尚 |
開基 | 華草栄香(かそうえいこう)大和尚 |
御本尊真言 | のうまく さまんだ ぼだなん ばく |
御詠歌 | 奥の院 高野の山に 変わらねば 真心こめて 頼め諸人 |
住所 | 〒475-0063 愛知県半田市乙川若宮町25 |
電話番号 | 0569-21-0623 |
ホームページ | |
公共交通機関 | JR乙川駅から約1㎞ |
札所までのアクセス | 16番平泉寺から約3.7㎞/18番光照寺まで約1㎞ |
地図 |
海蔵寺のミニ由来
- 延徳元年(1489年)開創。
- 二世田翁和尚は、神通力を持つ名僧で、遠く離れた高野山に大火が発生したことをいち早く通見。祈祷しながら庭に水をまき、神力によりその大火を消し止めた。
- そのお礼に、高野山主より「蓮糸の法衣(れんしのほうえ)」が贈られた。
- 弘法堂前に「この寺に大師法来の法衣あり」との石碑も建てられている。
- 明治42年「奥の院」として、知多四国霊場の番外に加えられた。
由来を深掘りしてみた
知多四国霊場を巡拝していると、「火災により○○を焼失」という文言をよく見聞きするようになりました。
各寺院について調べていると、本堂や観音堂や庫裡・・・などを「過去火災によって失ったことがある」寺院が多いことに気付かされます。
「火事と喧嘩は江戸の華」
なんて言葉もあるほどですから、昔は火災が多かったのでしょうが、
それにしても、寺院の「中枢を成す建造物を焼失する」という、痛ましい歴史を乗り越えてきた寺院の多いことには、只々驚くばかりです。
そんな歴史を振り返りながら、海蔵寺弘法堂前に建つ「この寺に大師法来の法衣あり」と、彫られた石碑を前に立ってみると、
神通力を持った海蔵寺の名僧の功績に、思わず畏敬の念に打たれてしまいました。。。
それでは、実際に海蔵寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。
写真で見る番外奥の院海蔵寺
駐車場はものすごく広くて、車の出入りもかなりありました。
山門を入って境内へと進んでいきます。
境内は駐車場同様すごく広く、海蔵寺を訪れる数多くの方々と出逢いました。
弘法堂向かって左横に建つ聖観世音菩薩像
こちらが弘法堂
こちらが「この寺に大師法来の法衣あり」と刻まれた弘法堂前の石碑
広大な境内に建つ本堂と
納経所です
こちらはケンカ地蔵
山門を入って右に建つ地蔵がケンカ地蔵。昔は、2体並んで立っていましたが、朝になるとなぜか1体が倒れていたので、仲が悪いのではないかと心配した海蔵寺の住職が、一方を門前の参道脇に移したそうです。
離れ離れになった地蔵は、以来「ケンカ地蔵」と呼ばれるようになり現在に至っているとのこと。
参拝を終え、御朱印もいただきましたので、次は16番札所光照寺へ向かいます。
番外奥の院海蔵寺から18番光照寺へのルート
光照寺までは、昔ながらの狭い道を通りますので、急な飛び出し等に注意し、慎重な運転を心がけましょう。
海蔵寺を出発後、こちらを左折し、そのまま直進すると乙川畑田に出ますので、
乙川畑田の交差点を左折します。
左折後直進すると左側に光照寺の駐車場がみえてきます。
近くにある飲食店
【Kitchen Kato】
愛知県半田市平地町4丁目174-1
0569-89-9777
【楽餐館】
愛知県半田市乙川西ノ宮町2丁目8
0569-22-4649
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最後に・・・
ケンカ地蔵という言葉から、何となく喧騒に包まれたイメージが沸きがちですが、当然のことながら海蔵寺はそのようなものとは無縁です。実際訪れたこの日は、下校途中の子どもたちの元気な声が響き渡り、のどかで平和そのものでした^^
以上【知多四国番外奥の院海蔵寺の由来・見どころ・回り方(ケンカ地蔵など)】でした。