74番密厳寺について

密厳寺 薬師堂

75番札所誕生堂から坂を下ると、間もなく左手に見えてくるのが密厳寺。
密厳寺は古くから「佐布里の祈願所」として親しまれ、近郊の村人たちの祈願を受けてきたとのこと。
では、知多四国74番密厳寺について、具体的な情報を見ていきましょう。

知多四国第七十四番雨宝山密厳寺真言宗豊山派の基本情報

本尊 十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
開山 (中興開山)憲誉法印
開基 不詳
御本尊真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌 知多の里 梅咲き香る 密厳寺 現世の利益 受けぬ者なし
住所 〒478-0015 愛知県知多市佐布里地蔵脇24
電話番号 0562-55-2473
ホームページ
公共交通機関 知多バス「佐布里保育園」から約0.2㎞
札所までのアクセス 75番誕生堂からすぐ/76番如意寺まですぐ
地図

密蔵寺のミニ由来

  1. 元暦元年(1184年)後鳥羽天皇の勅願寺として創建された、雨宝山如意寺一山丸坊の一坊として開創された。
  2. 明治10年佐布里の集落にあった薬師堂が本堂に移され、家内安全、諸病平癒、安全祈願など諸願成就の寺として篤い信仰を集めてきた。
  3. 本尊の十一面観世音菩薩は、平安時代後期の作で、 知多市の文化財に指定されている。

別の角度から由来を深掘りしてみた

密蔵寺の薬師堂が、佐布里の集落から本堂に移されたのが明治10年。
明治元年から10数年間は、文明開化と呼ばれた時代で、洋風建築、鉄道や電信の開通・・・など、西洋の文化が積極的に取り入れられましたので、人々の生活が大きく変化していきました。
しかし、「日本橋の開化」と皮肉られたように、これは大都市に限った表面的なものであって、国民の大部分を占める農村にはほとんど関係のないことだったようです。
福沢諭吉の著書「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・・」で有名な『学問のすゝめ』は、
この時代の核心を突いた、代表的な書物だったといえるのではないでしょうか。
それでは、実際に密蔵寺を参拝させていただいたときの様子を、写真を交えながらご紹介させていただきましょう。

写真で見る密厳寺

75番札所誕生堂から下ってくるとこちらに出ます。こちらからも入れますが、もう少し進むと山門が見えてきます。
密厳寺 行き方

山門。
密厳寺 山門

山門前に建つ「真言宗雨宝山密厳寺」と彫られた石柱。
密厳寺 石柱

白山社と天神社。
密厳寺 合格祈願

密厳寺の見どころ(合格祈願)

山門の脇に鎮座する天神社の祭神は、学問の神さまとして知られる菅原道真。毎年2月11日に天神祭りが行われ、僧侶が合格祈願の祈祷を上げるそうです。

本堂
密厳寺 本堂

御本尊の十一面観世音菩薩は知多市の文化財に指定されています。
密厳寺 文化財

薬師堂
密厳寺 薬師堂

 薬師如来は薬師瑠光如来と申し 身心の病「病気のなやみごと」を取り去るのみならず、諸善願成就の佛として日本では一番古くから信仰されている如来様です。
また十二支の支母如来、日々私たちをお守り下さっております。ご真言は
「おんころころせんだりまとおぎそわか」
このお堂の廻りを左から廻られますと、十二支守り本尊がおまつりしてあります。
初めに御本尊「薬師如来」を拝まれ、次にご自分の干支・家族の干支の佛様をおまいり下さい。(薬師堂案内板より)

御朱印は自分でということでしたので、御納経料を納め押させていだきました。続いて76番札所如意寺へ向かいます。
密厳寺

74番密厳寺から76番如意寺へのルート

隣接しています。

近くにある飲食店

73番正法院と同様です。詳細は下記をご覧ください。

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最後に・・・


十二支の 守り本尊 薬師堂 漢字わからず 二周目突入

案内版によると、「初めに御本尊「薬師如来」を拝み、次に自分の干支・家族の干支の佛様をおまいりください」とのこと。
干支を漢字で表すと『子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥』
自分の干支である「犬が戌」といいうことは分かりましたが、妻と子どもの分ともなると、普段見慣れない漢字なので「牛と丑」や「猿と申」が結びつかず、結局御堂の周りを二周回ってようやく分かったという・・・。

密厳寺 御朱印

以上【知多四国74番密厳寺の由来・見どころ・回り方(薬師堂十二支の守り本尊など)】でした。

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